3月を諦めない
3月が31日で終わりだなんて、誰が決めたのでしょうか、いや誰も決めていない(反語)、と言うことで、少しだけ3月の延長戦をやろうと、私の中で全会一致で決まりました。
延長戦と言うか、アディッショナルタイムみたいなものです。
3月が終わってしまうと、凄く困るんです。
4月1日になってしまって、エイプリルフールになってしまって、何を書いても信用に足らなくなってしまうからです。
4月1日は、論理学とっても鬼門の日。
「このエントリは嘘ではないです」と書いた瞬間に、自己言及のパラドックスに陥ってしまいますので。
そんな理由でこの記事は誰が何と言っても3月中であり、4月1日とは全く何の関係もありません。
俺とお前と大五郎くらい関係ありません。
このエントリは嘘ではないです。

3月末は、月末なだけではなく、年度末でもあります。
従って、他の月末にはない、多くの悲喜こもごもがあります。ありました。
人間関係で言えば別れの季節です。
仕事で言えば、区切りの時期です。
何かの「終わり」の時期です。

この「終わり」と言うのが曲者で、終わりであると言うことは、終わるその直前の瞬間まで継続中であると言うことです。
物事が何かしら動いていて、動き続けている状態です。

正直、この状態ってとてもラクなんです。
惰性でうっかり一日を終えることも可能ですので。
それを、余計なことに「年度末」は、「末」にしてしまって、しかもこともあろうに4月1日からは「年度始め」と称して「始め」ることを強いてきます。
昨日まで仲間だと思っていた頼りになるアイツが今日からは敵、みたいな変貌ぶりです。
終わりたくもないし、始めたくもない私の気持ちは無視されたままです。
と言うわけで、私の中ではまだ3月であると、そのように決まりました。

3月32日を迎えた私に取りましては甚だ関係のない話ではございますが、無事新年度を迎えられた皆様におかれましては、この一年がこの上なく素晴らしいものになりますことを、心より祈念しております。
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エイプリルフール
「エイプリルフール」よりも「4月バカ」の方が個人的にしっくりくるのは、きっと小さい頃から「ドラえもん」を読みすぎていたからだと確信を持ってます。
有名な「帰ってきたドラえもん」で未来に帰ったドラえもんがのび太の元へと帰ってきたのも4月1日の出来事ですね。

折角4月1日なのだから、何か気の利いたウソをつきたいと思ったものの、ウソが思いつきません。
ウソをつくのも才能と努力が必要なんです。
なので、今日は昔書いた記事の中から「4月バカ」に適切かなー、と思うものをサルベージします。
手抜きではないですよ、多分。
以下、その記事のコピペ。

「不完全性定理」
http://dokotonaku.jugem.jp/?eid=721

数学の世界では、「証明」されたことについてはもう議論を挟む余地はありません。
年月や、人物や、理論や、主義主張には関係なく、数学的に証明されたことは絶対に正しいことです。
数学こそが「真理」に最も近い理論です。

その昔、ヒルベルトという人が「数学理論には一切の矛盾が無く、どんな問題であっても真偽の判定が可能であること」を証明しようとしました。
換言すれば数学の「完全性」を証明しようとしました。
これを「ヒルベルトプログラム」と言います。(1930年代)
多くの数学者がこのプログラムに関わり、着々と成果をあげていきました。

しかしラッセルが「数学の完全性」の矛盾を発見し、ゲーテルが「数学は不完全であること」を証明してしまったことで、「ヒルベルトプログラム」は終焉を迎えました。
ゲーテルの不完全性定理は以下の通りです。

1) 第1不完全性原理
ある矛盾の無い理論体系の中に、肯定も否定もできない証明不可能な命題が、必ず存在する。
2) 第2不完全性原理
ある理論体系に矛盾が無いとしても、その理論体系は自分自身に矛盾が無いことを、その理論体系の中で証明できない。

ちょっと難しいので、具体例を挙げます。
例えば、「私は嘘つきだ」と言ったとします。
この言葉が「真実」であれば「私は嘘つき」になりますが、「嘘つきなのに真実を言った」ことになり、パラドックスが生じてしまいます。
逆に「嘘」であれば、「私は正直者」になりますが、「正直者なのに嘘を言った」ことになり、やはり矛盾が生じます。

同様に「私は正直者だ」と言った場合を考えます。
この言葉が「真実」であれば「私は正直者」なので問題なく成立します。
この言葉が「嘘」であれば「私は嘘つき」なので、やはり問題なく成立します。
つまり「私は正直者だ」という命題は、真でも偽でも成り立ってしまい、結局どちらとも決定できません。
これらを「自己言及のパラドックス」と言います。
数学、特に「集合論」の部分に、この「自己言及のパラドックス」が存在してしまうために、「数学の完全性」はあり得ません。

ところで、「俺って正直(嘘つき)だからさー」とか言う人は実際問題として結構居ますよね?
でも、上記の通り、自分自身でその言葉を証明することは絶対にできません。
そういう、証明できないようなことを言う連中のことは、信用しない方がいいですよ。
私は正直者ですから、彼らを論破する方法をここに置いておきます。
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4月バカ
「火星人が攻めて来たぞぉ〜」
のび太が秘密道具「うそつ機」を使って民衆をパニックに陥れた、名場面です。

余りにも有名な話なので今更私が説明するまでもないかもしれませんが、このようなパニックは実際に起こっています。
1938年10月30日、アメリカCBSネットワークの「マーキュリー劇場」という番組内で、火星人がアメリカに攻めて来たと言う内容が放送されました。
現場からの報告など、実際のニュース番組のような形で放送されたため、多くの市民が本当に起こっていることだと勘違いし、パニックが引き起こされました。

さすがに2006年の現在に、これと同じことを放送してもパニックは起こらないと思います。
それはその後の宇宙探査の進歩により、「少なくても太陽系内には、地球に攻めて来れる程の高度な知能を持った生命体は存在しない」であろうことが、共通理解として浸透しているからです。
しかし1938年当時には、「火星人が攻めてくる」ということは、ある程度の現実味を持った事柄であったのだと思います。
火星人が「居る」とも「居ない」とも分からない状態であれば、「居たとしても全く不思議ではない」わけで。
従って嘘をついてそれを信じさせるには、ある程度のリアリティが必要であると考えることができます。
かと言って、「火星には生物がいるらしいよ」というのは、本当に居るかもしれません。
火星には液体の水の有った痕跡や、生物によって作られたと思しき痕跡が見つかっていますから。
つまり嘘をつく側にしてみれば、「事実ではない」ことが明らかであるにも関わらず、ある程度の「現実味」が必要であると言う、大変に難しい要求水準をクリアしないとなりません。

例えば、最近のブームに乗って、「官公庁、情報公開に一歩前進。全職員のパソコンにWinnyのインストールを奨励」という記事を書いたとします。
明らかに嘘です。嘘ですがキチンと書けばそれなりに面白いものになりそうな気もします。
ただこの題材の場合、読み手も明らかに嘘だと分かっているため、良く出来たジョーク止まりです。

個人情報の場合、嘘か本当かを判断する情報が少ないため、比較的嘘を信じさせることが容易いと考えられます。
そこで、私が「結婚しました」の記事を書いたとします。
何人かは騙されてくれるかもしれません。
大成功です。
しかし毎回ここを読んで下さっている方や、実際の友人にとっては、「私が結婚する」ことに現実味が有るとは思えないはずです。
昨日まで彼女も居なかったのに、いきなり結婚するわけがありませんから。
自分で書いてちょっと悲しくなりました。

まとめると、折角のエイプリルフールなのに、気の利いた嘘を思いつきませんでした。
嘘つくのって難しいです。
なのでこれから一生、嘘をつかないことに決めました。
うーん、自己言及のパラドックス。
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不完全性定理
数学の世界では、「証明」されたことについてはもう議論を挟む余地はありません。
年月や、人物や、理論や、主義主張には関係なく、数学的に証明されたことは絶対に正しいことです。
数学こそが「真理」に最も近い理論です。

その昔、ヒルベルトという人が「数学理論には一切の矛盾が無く、どんな問題であっても真偽の判定が可能であること」を証明しようとしました。
換言すれば数学の「完全性」を証明しようとしました。
これを「ヒルベルトプログラム」と言います。(1930年代)
多くの数学者がこのプログラムに関わり、着々と成果をあげていきました。

しかしラッセルが「数学の完全性」の矛盾を発見し、ゲーテルが「数学は不完全であること」を証明してしまったことで、「ヒルベルトプログラム」は終焉を迎えました。
ゲーテルの不完全性定理は以下の通りです。

1) 第1不完全性原理
ある矛盾の無い理論体系の中に、肯定も否定もできない証明不可能な命題が、必ず存在する。
2) 第2不完全性原理
ある理論体系に矛盾が無いとしても、その理論体系は自分自身に矛盾が無いことを、その理論体系の中で証明できない。

ちょっと難しいので、具体例を挙げます。
例えば、「私は嘘つきだ」と言ったとします。
この言葉が「真実」であれば「私は嘘つき」になりますが、「嘘つきなのに真実を言った」ことになり、パラドックスが生じてしまいます。
逆に「嘘」であれば、「私は正直者」になりますが、「正直者なのに嘘を言った」ことになり、やはり矛盾が生じます。

同様に「私は正直者だ」と言った場合を考えます。
この言葉が「真実」であれば「私は正直者」なので問題なく成立します。
この言葉が「嘘」であれば「私は嘘つき」なので、やはり問題なく成立します。
つまり「私は正直者だ」という命題は、真でも偽でも成り立ってしまい、結局どちらとも決定できません。
これらを「自己言及のパラドックス」と言います。
数学、特に「集合論」の部分に、この「自己言及のパラドックス」が存在してしまうために、「数学の完全性」はあり得ません。

ところで、「俺って正直(嘘つき)だからさー」とか言う人は実際問題として結構居ますよね?
でも、上記の通り、自分自身でその言葉を証明することは絶対にできません。
そういう、証明できないようなことを言う連中のことは、信用しない方がいいですよ。
私は正直者ですから、彼らを論破する方法をここに置いておきます。
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