気付けば10月も中旬
ふと机の横を見ると、二ヶ月ほど前に植えたクローバーが斜に構えていました。

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元気に生えていますが、飼い主(植え主?)の性格を反映してか、真っ直ぐに生えませんでした。
それはそれでにょきにょきと悪くない感じですので、結果オーライです。

結果オーライと言えば、春頃に失敗したと思って随分と落ち込んだ研究が、上手くいく目処がつきました。
ちょっとだけ詳しく書くと、GFPがちゃんと光ったんです。
すっかりこの実験は上手くいかないと思っていたので別の方法で実験をしてたんですが、そちらもいい感じにデータが出そうです。
前者の実験が始めから上手くいっていたら後者の実験はやらなかったと思うので、まさに結果オーライ。

しかも結果オーライと言えば、ちょうど科研費の申請の時期だったので、この上手くいった実験のデータを使って研究費の申請書類を書きました。
データが出たのが昨日、書類を頑張って書いて手直ししたのが今日、締切が明日。
このデータがあるのとないのとでは説得力が段違いですので、これは全てが上手くいきました。
まさに結果オーライ。
(これで研究費の申請が通れば本当の意味で結果オーライ)

そんなこんなで、気付けば10月も中旬になってました。
めっきりとブログの更新頻度が落ちていましたが、今日のネタにしたことのドタバタでなかなか時間を割けなかったんです。
しかし、そのおかげで今日は適当な内容で更新できたので、これも結果オーライですね。
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一年半
今日は9月30日。
「年度」の考え方をした場合の、今年度の半分が終わる日です。
時間の経つのは本当に早くて、その割に何も仕事が進んでいない状況があって、このままだと大変マズいなあ、と思いながら人生を消費する日々です。

私が一応「教員」として大学に勤めるようになってから、一年半が経過しました。
今から考えれば、この一年半でもっと沢山のことを出来ていたんじゃないか、という気にさせられますが、多分何度この一年半を繰り返しても、同じくらいのことしか出来ていなかったようにも思います。
圧倒的に経験値が足りていませんでした。
レベル1でスタートして出来るのは、せいぜいスライムを倒すことくらいです。
到底ロマリアには着けません。
ピラミッドを攻略した後に「今考えればロマリアなんて楽勝だよなあ」と思っても、それは気のせいなんです。
ちなみに、今の私は感覚としてはまだレーベの村についた頃かもしれません。
隣町。

書こうと思っていた話題があります。
生命科学を研究する上での、大学院生、ポスドク、教員のことを、あくまで自分の経験に則った形ではありますが、比較するには私は絶好の位置にいます。
「兼業研究者」「兼業教育者」であるところの「大学教員」について、あるいは「大学教員」と「学生」のと関係性について、書きたいこと、書きたいけど書けないこと、書きたくないけど書いた方が良いこと、色々です。
そのうち、この辺のことは小出しにしたいのですが、書き始めると結構な労力になりそうなので、若干躊躇してしまうこともあります。
特に学生との関係については、考えるところが多いです。
他にも、自分自身の身分の別の言い方である「ピペド」とか、そんな話題もネタにしたかったり。

明日は10月1日。
後半半分では強烈に巻き返して、せめて誘いの洞窟を抜けてロマリアに辿り着けるように頑張りたいです。
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強制的に気を引き締める
研究や実験は、慣れてしまうと惰性で何となくやってしまいます。
白衣を着ることもせず、だらだらと。
私も普段はさっぱりと白衣を着ないのですが、先日、白衣を着て、手袋をして、マスクをして、気を引き締めて実験をする機会がありました。
実験に対する心構えを思い出す、いい機会になったように感じます。

何故、普段はだらけきっている私がそのように気を引き締めていたかと言うと、勿論理由があります。
その実験で使った試薬の注意書きが、ちょっとばかりエキサイティングでエキセントリックだったんです。
一部、刺激の強い部分を抜き出します。

・飲み込むと生命に危険(経口)
・皮膚に接触すると生命に危険(経皮)
・吸入すると生命に危険(粉じん及びミスト)

なかなか刺激的です。
ちょっと大袈裟に書いてビビらせているだけなのかな、と自分の中で安心を得たくて考えたのですが、同じ実験に使う別の試薬にはもう少しマイルドな表現があるので、きっと言葉通りの意味なんだと思います。
ちなみにマイルドな表現はこんな感じでした。

・飲み込むと有毒(経口)
・皮膚に接触すると有害(経皮)
・重篤な眼の損傷
・etc etc…

おかげで大分、強制的にではありますが、気が引き締まりました。
気を抜いて死なないように頑張ります。
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いつでもどこでも出来てしまう環境
普段、仕事はMacBook Proでしています。
場所は所属する研究室の、自分の机。
基本的にはそこで、パソコンを使った仕事はします。
資料も手元にありますし、一番整った環境です。

mini9を買って、これを持ち歩くようになりました。
Dropboxで母艦のMacBook Proと同期させています。
従って、ネット回線さえあれば進行中の仕事はmini9で出来るようになりました。
また、大学内の無線LANについてもmini9には設定がしてあります。
大学構内で無線LANができる場所はまだ限られているものの、仕事をするのに研究室に縛られる必要がなくなりました。

メールについては、ずっと悩んでいました。
母艦のMacBook Proで全てを管理したかったため、あまりメールのデータを分散させたくなかったんです。
Gmailを使っての仕事のアドレスからの送受信の設定はしていましたが、個人的にブラウザ上での処理はあまり好きではありませんでした。
かといって最近はMacBook Proを持ち歩くことも少なくなり。
mini9とMacBook Proのメールデータを同期するスマートな方法を模索していましたが、結局のところmini9のメーラーを普通にセッティングして、ここからメールを送信する際には自分のアドレスをCcに含めることにしました。
凄く古典的。
しかし、これで何も困りませんでした。
ちなみに、大学のアドレスに来たメールはGmailを介して携帯に転送していますので、ほぼリアルタイムでの把握が可能です。

ネット回線がある限り、進行中の仕事はいつでも同期可能で、メールも問題なくどの端末でも総受信可能、大学構内は無線LANがあり家では光回線が待っている環境ですので、いつでもどこでも、ある程度以上の仕事が出来てしまう環境ができあがりました。
ブログの更新もその環境から受ける恩恵の一つだったりします。

ここまでいつでもどこでも仕事ができてしまう環境にあると、例えば私からの「メールの返事がない」とか「総説の執筆が遅れてる」とか「研究計画について音沙汰ない」とか「論文が遅々として進まない」とかは、大抵は私に問題があることになります。
これが関係各所にバレるとちょっとマズいことになります。

と言うことで、ブログに書いておいてなんですが、皆様方におかれましては「いつでもどこでも仕事ができる」環境にあると言うことを内密にしておいて頂けるととても助かります。
「メールに返事がない」のはまだメールを読んでないからであって、しかもすぐに返事を書けるような状況にいないからなわけです。
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大学院生と言う立場
非常に書くために必要なエネルギーが大きな話題で、正直書きたくないんですけど、書くのが適切だろうと思うので書いてみます。

東北大大学院生が自殺…博士論文、2年連続受け取り拒否され
同大によると、自殺したのは理学研究科で生物関係の研究をしていた博士課程の男性大学院生(当時29歳)。大学院生は昨年8月、研究のデータ集めをした滋賀県内で自殺した。遺書には指導法への不満などはなかったが、翌月、両親から男性准教授(52)の指導に問題があったのではとの指摘を受け、内部調査委員会を設置していた。

大学院生は2007年12月、博士論文の草稿を事前提出したが、准教授は大学院生と十分に議論せず受け取りを拒否。准教授は06年11月ごろにも、論文提出を延期するように指示しており、大学院生は2年連続で博士号の取得に失敗した。
昨年3月まで博士課程の学生で、今は一応大学教員で、そして大学が大学なだけに、とても書きにくい話題なんです。
この話を知ったときにはもやもやとした気持ちになりました。
しかしある意味最も理解しやすい立場でもあるので、思ったところを書いてみたいと思います。

まずは、大学院博士課程は、博士号の取得に失敗すること自体はよくある話です。
自分の知り合いにも何人かいます。
しかし、この場合問題になるのは、この部分。
調査は、残された論文草稿やデータを見る限り、大学院生の研究は博士論文の審査水準に到達していたと判断。准教授が、具体的な指示を与えず、適切な指導を行わなかった結果、大学院生は学位取得や将来に希望を抱けなくなり、自殺に至ったと結論づけた。
「論文が○報必要」とかの条件があればその限りではありませんが、それを満たしていたのなら審査されないとおかしいです。
従って、この新聞報道を信じるならば、指導に当たっていた准教授に非があるのは疑いようがありません。
しかし、このケースを「特殊な教員の起こした過失」に帰結してしまうのは危険です。
システムの問題、教員の問題、大学院生の問題、色々とはらんでいます。
今回の事件は、これらの複合要因だと思います。
問題点については思いつくだけでも多すぎて、ここではちょっと書ききれません。

少なくても今回の事件については、学生の側が「研究室」「大学」をもっと柔軟に選択することが出来れば、つまり研究室間、大学間での「移動」がもっと簡単に行えるならば、恐らく防げた事例です。
自分に合わない教員のいる研究室なんてとっとと見切りをつけて、別のところに移動しちゃえば良いだけですから。
「学生」の最大の利点は、「選択の自由」があることです。
教員は学生を選べませんが、学生は教員を選べます。
そのような、柔軟な選択をしやすくするシステム作りをすることが、再発を防ぐ一つの手だてになるのではないかと思います。

あと、これから自殺しようかな、と考えている人達に対して。
「博士号」には死ぬほどの価値はありません。
死ぬ前に一度、考え直してください。
大学は「狭い」です。
狭いからこそ視野狭窄に陥ってないか、よく考えてみて下さい。

「問題点」については機会があったら書きます。
すでにこのブログでも、大なり小なり書いてはいるのですが。
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