流れゆくもの
久しぶりに筆をとろうと四苦八苦しているうちに気づけば7月も終わり、8月も中盤に差し掛かろうかという時期になっていました。
年月の過ぎ去るのは大変早く、このままにしていると齢だけを重ねて(先日31歳になりました)、しかし年齢ほどには中身の成長を伴わない人生になってしまうのではないだろうか、と懸念している気も、しないでもないような気がするときも、なくはないような感じです。

時の流れは、水の流れとは違い、意識しない限り、その「流れ」を感じることをつい忘れがちです。
水であれば、流れの中に身を置くと、その「流れ」を全身の感覚として捉えることができるのに対して、時は自身の全身の感覚を残して行ってはくれません。
そっと、ほんの少しだけ、痕跡を残して、あとからその痕跡の多さに気づいて驚くのが常です。
時の痕跡に対して、自分の残した痕跡の少なさに気づいて驚くのが常です。

このようなことを少しでも是正するためにも、全身の感覚として捉える水の流れのように、時の流れをやはり全心の感覚として捉える必要が出てくるのではないかと、最近は考えるに至りました。
体の大半は摂取した水でできていて、心の大半は積み重ねた時でできているのですから、難しいことではありません。
水は低いところに流れていきますが、時は低いところに流れるわけではありませんから、心も怠惰な方向には流れないはずです。
流れないはずなのです。
はずなのです。




でも、私の心はちょっっと水分が多めかもしれませんので、あしからず。
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半袖マン
実は今日、今年はじめての半袖を着ました。
昨日までの私は頑ななまでに長袖を着続けていました。
このブログ内を「半袖」で検索すると分かるように、私は基本的に毎年、あまり半袖を着ずに長袖で過ごすことが多いです。
そして、それに対してあれやこれやの理由をつけていました。

曰く
昨日も今日も非常に暑い一日になっています。
昨日などは今年初めて半袖を着てしまいました。
今日は長袖ですけど。
エアコンが寒いんですよ、半袖だと。
そのくらい暑い一日になっています。
どことなくなんとなく;日陰者

であるとか、
ポツポツの数を数えてみたら、9個ありました。
虫さされだとしたら、こんなにさされて気付かないものなのかなー?という疑問がありますし、湿疹だとしたら、心当たりは全くありません。
やはり半袖で生活していたせいでしょうか。
半袖は危険です。もう着ません。
どことなくなんとなく;虫さされ?

であるとか、
あんまり半袖は着ません。
なぜなら寒いからです。
長袖の日が多いですし、今日ももちろん長袖です。
これは私の体温調節機能がおかしいわけではなく、仙台の気候のせいです。
どことなくなんとなく;長袖マン

であるとか。

翻って、今年、このような理由で半袖を着ないだけの動機が私の中にあっただろうか、と言う疑問が湧いてきます。
今年は電気供給力の減少により、大学もかなりの節電を強いられています。
エアコンを、暑がりの人の体感温度に合わせて、想いのままにわがままに稼働させることは難しくなっているため、例年よりも室内温度は暑くなっています。
また、半袖で生活していてもあれ以来湿疹が出るようなこともありませんでしたし、仙台の気候も昨年、今年と妙にやる気を出してしまっているため、30度を超える日も珍しくありません。
そんな状況の中、私は相変わらず長袖のままでした。
何故、半袖を着なかったのか。

逆に考えて、特に状況が変わったわけではないのに、何故今日は半袖を着たのか。
これらの疑問は表裏一体、私の中に非常に重要な意味付けを持っているような気がしてなりません。
しかし、この疑問に答えられるほど、私の中に何か明確なものがあったとも、思いつきません。
なんとなく長袖を着続けていたのに、なんとなく半袖を着てしまったと。
そして、半袖は快適であったにも関わらず、おそらく明日は長袖を着るだろうなと。
長袖を着た上で、若干の腕まくりをするだろうなと。

私にとっては存外に重要な疑問ですので、これから折に触れて考えていく必要がありそうです。
そしてポンと膝を打つような答えが得られた時、この半袖長袖論争に終止符が打たれた時、初めて心の底から袖の長短を気にしない服選びができるようになる気がするのです。
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ラジオ
最近、と言ってもここ数ヶ月のことですが、車に乗るときにラジオを聞いています。
結構面白いんです。
今は夏休みですから、ちょっと前まで「子供相談室」のようなものが放送されていました。
これは主に小学生の質問(「サイエンス」で括られるものが多いです)に対して、専門家の人が回答する形でした。
質問が割と高度なもので、しかし平易な言葉で説明しないとならなかったりで、自分はどちらかというと「専門家」の人に感情移入して聞いてしまっています。
加えて、非常に勉強になることがあって、「なるほどなあ」としばしばあります。
先日あった質問は、
「どうして虫の血は赤くないんですか?」
でした。

これは日頃から虫をあれやこれやしていないと思いつかない質問です。
私も「虫の血はそういえば赤くない」ということは知っていたものの、それが「どうして」なのかは知らなかったため、興味を持って聞いていました。
専門家の方は「血が赤いのは酸素の運搬のためのヘモグロビンの色だ(意訳)」と答えていました。
うん、これは知ってる。

次に「酸素を末梢まで運搬する必要があること(意訳)」を説明していました。
うん、これも知ってる。

そして「昆虫は気門から空気を取り込んで、全身に巡る気管によって酸素を運んでいること(意訳)」に言及していました。
うん、それも知識としては持ってる。

「だから血液で酸素を運ぶ必要がないので、赤くないんだよ」
!!!!
なるほど!!!!

一個一個の要素は知っていたのに、私は虫の血が赤くないことの理由に思い至らなかったので、凄く勉強になりました。


そんな感じで楽しんでいるラジオですが、もともと聴き始めたきっかけは震災でした。
ラジオが一番、生活や再建に必要な情報を流し続けてくれていました。
私自身は大きな被害もなくかなり早い段階でほぼ元通りの生活を取り戻せていましたが、私の周りの人にはそうでない人も居て、そのような人のために一つでも役に立つ情報が欲しかったんです。
ガスの復旧情報、給水車の場所、支援金のこと、罹災証明の申請方法、無料相談窓口の受付日、税金への対応、等々々々々、欲しい情報、必要な情報はいくらでもありました。
ネットも情報収集には役立ちますが、そもそも「必要な情報が何か分からない」ことからのスタートでしたので、延々と情報を流し続けてくれていたラジオは有り難かったです。
ラジオで知った情報を、ネットで詳細に調べることは、簡単ですから。

もう一つ重要なのが、緊急地震速報。
基本ラジオを聞くのは運転中ですから、ピヨーンピヨーンピヨーンと緊急地震速報がラジオから流れると、どうしようどうしようどうしようとあたふたするのですが、それでも可能なときは車を寄せて止めて安全を確保することができます。
その結果、揺れが大したことないときは、ほっと胸を撫で下ろせば良いだけですしね。
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