キューブにエキゾーストフィニッシャーを取り付けた
ほぼタイトルで今回のエントリはお終いなのですが、キューブにエキゾーストフィニッシャーを取り付けました。
これは、マフラーの排気ガスが出てくる所に取り付けてちょっとだけ形を変えるためだけのパーツです。
http://www.nissan.co.jp/OPTIONAL-PARTS/EXTERIOR/exterior02.html
日産の純正品です。

これが付ける前で、
Cube-Before-1


これが付けた後。
Cube-After


ちょっとだけ迫力が出ました。
特に走行する際の音も変わりませんので(変わったらむしろ困ります)、完全に自己満足のためのアイテムです。
マフラーの先っちょが、下を向いてくにっと曲がっていたのが、ずっと気になっていて。
少し気持ちがすっきりしました。
見た目も重要なのです。
キューブは一見不細工ですが、よく見ると味があり、遠目からも間違いなくキューブであると分かるデザインですので、見た目は重要なのです。

ブイブイと言わせて走ることは少ないですが、ぬるぬると走る中々いい車です。
こいつに乗って、どこか遠くに行きたいです。
とりあえず、近いうちに仙台の夜景を一望できる場所には行ってみようかなあ、と企んでいます。
まあ、すごく近いんですけど。
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大きな地震の日のこと
もう10日ほど前になりますが、大きな地震がありました。
未だ被害の全貌が見えず、数字だけがどんどんと拡大しています。
私は、この地震を仙台市内で経験しました。
不幸中の幸いに、私の家族、親戚、友人知人に犠牲者は居なさそうです。
知人の知人、レベルになると、もちろん居ます。

何から書いたらいいのか、何を書いたらいいのか、そもそも書くべきなのか、色々と頭の中がまとまらず、報告が遅れてしまって申し訳ありません。
「日常」はどこかへ行ってしまい、「非日常」が代わりにその場所にいます。

私は、助教という立場で、大学に所属しています。
その日、その時間も、大学の研究室に居ました。
耐震工事など為されていない古い建物の、7階に私の研究室はあります。

大きな地震。

学生やスタッフは、とにかくびっくりしていました。
自分もびっくりしていましたが、私はとにかく落ち着くようにと、安全を確認することを大声で指示して、自分は自分の本棚の上にあったサボテンを守っていました(結局、ほとんどを守れませんでした。幸いサボテン自身の生命力が強かったおかげで後日回収出来ましたけど)
揺れが収まった後、とりあえず近くにいた人間に怪我などがないことを確認できましたので、再度落ち着くようにと声を出し、自分は研究室の被害状況を確認するために動きました。

Jishin


物の転倒、停電、水道管の破裂、水漏れ、防火扉の転倒など、酷い有様で、にわかに対処できるような状況ではありませんでした。
余震がいつ来るかもしれない状況でしたので、貴重品などを持って屋外に退避することに決めました。
外から見ていると、余震のたびに建物が大きく揺れているのがよく見えました。

その日はとても寒くて、ちょうどその頃、激しい雪が降ってきました。
一度その場を解散にしたものの、私は状況把握のために大学に残りました。
仙台市内(というか、東北全域?)が停電だったために、街中の信号機も止まり、大渋滞が起こっていました。
帰宅を試みた人たちは、相当大変だったと思います。
自分の職場は大学の附属病院のすぐ近くであるため、緊急車両の往来の多い場所なのですが、渋滞で動けなくなっている緊急車両もありました。
この時点で私は当日中の帰宅をほぼ諦めました。

同僚のポスドクの人と、保育園に預けていた彼女の子供と合流し、彼女の車の中でテレビを見て、そこで初めて、今回の地震の規模と、被害の一報を知りました。
正直、現実感はありませんでした。
近くのコンビニが停電の中、手作業で計算して営業していましたので、差し当たっての食料を買いました。
並んでいたので、買うだけでも一時間近くかかったと思います。(正確には同僚の人が並んで買って、自分はその間、子供を抱っこしていただけなのですが)

暗くなってきて、帰宅も諦めたので、とりあえず3人で避難所に向かいました。
途中、研究室の学生と合流し、避難所へ。
地震当日でしたので避難所にはまだ毛布もなく、食料もなく、停電していて、ただ、ストーブだけはありました。
各自、車や家から食料および毛布を持ってきて(全然足りませんでしたが)、その日をしのぐことになりました。
食料はほとんどがお菓子、毛布は6人に対して3枚。
体育館だったので、板が冷たいんです。
良かったのは水道が生きていたので、トイレの心配だけは必要なかったこと。

誰かが持ってきてくれていたラジオのお陰で、情報だけは入ってきていました。
ラジオは、にわかには信じられないような情報を伝えていました。
携帯は全く通じず、その日の夜中に、どうにか家族に連絡がつきました。
WillcomもSoftbankも全然ダメで、学生のdocomoの携帯でようやく通じました。
家族には全然連絡ができないのに、Twitterではずっと前に無事を知らせられていた状況も、なにか変だなあ、と思いつつ。

避難所の床に身を横たえながら、結局ほとんど一睡もできずに、ラジオを聞き続けて夜が明けました。
避難所にいた学生のことも気になったのですが、昼前に、帰宅することにしました。
普段なら30分の道も、車で2時間かかりました。
信号も点いていない場所が多く、空気を読んでの運転です。
ちなみに、この状態で夜も運転しましたが、真っ暗でものすごく怖いです。
人が見えません。

自宅は電気、ガス、水道、全てがダメでした。
しかし、物が倒れたりとか、そのような被害は一切無く、布団で寝られるという誘惑には勝てず、避難所には戻りませんでした。
研究室の学生の中には3日ほど避難所で過ごした人も居たようです。

これが、地震当日に私が経験したことです。
その後の一週間に経験したことについては、エントリを改めたいと思います。

最後になりましたが、今回の地震とその後の津波の犠牲になった方々に対し、心から哀悼の意を表したいと思います。
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大きな地震の後のこと
地震から3週間が経とうとしています。
仙台の街を見ていると、確かに日々復旧、復興している様子が感じられて、間違いなく時が流れていることを意識するのですが、頭の中では全然「3週間」が理解できなくて、時が止まっているかのような、そのような感覚がこびり付いています。

そんな、時が止まっている間の出来事を、取り留めもなく記しておこうと思います。
忘れるんですよね。今でさえも。

自宅に関しては、地震直後はライフラインは全滅でした。
水道も、電気も、ガスも。
今(3/31)もガスはまだです。
この状態で役に立つものは、カセットコンロ、ラジオ、ろうそくです。
情報源はラジオしかありませんでした。
携帯は自宅付近に関しては、基地局がやられたらしく、圏外。
そもそも充電もできません。
ラジオから聞こえてくる情報が全てで、聞こえてくる情報は混沌としてて。
電気、水道が復旧したのは地震から2日後。
かなり早い部類だったと思います。

物資不足も、直後の週は特に顕著でした。
仙台市内なのでまだマシではありましたが、食料を手に入れるためにも数時間並ばないとなりませんでしたし、その他の必要な物も、手に入る状況でもありませんでした。
ダイエーに並んだり生協に並んだり。
普段は買わないお菓子もなんとなく買ったりして。

現在もまだまだ手に入りにくいものが、ガソリンです。
地震の時、私の車には約半分のガソリンが残ってました。
なるべく車を使わないようにはしていましたが、車が必要な日もあり、3/26に給油をしました。
その頃には「手に入らない」から「頑張れば手に入る」くらいには改善していたので、6時間ほどガソリンスタンドに並んで給油できました。
ちなみに、レギュラー車ですが、やむなくハイオク満タンです。
しかし、自分も並んだので大きなことは言えないのですが、現状でもこの「ガソリンスタンドに並ぶ」車が大渋滞を引き起こしていて、色々なものの妨げになっています。

職場に関しては、被災地の中でもほぼ最優先で復旧がなされる場所でしたが、自分の研究室のある建物の被害が大きく、中々再開の目処を立てられる状況ではありませんでした。
また、研究室の中で震災後に自由に動ける立場の人間が自分しかいなかったため、毎日一応出勤しては、情報の収集と可能な限りの復旧、連絡、取りまとめ等をやっていました。
「研究」は、停電、断水等でダメになった物が多すぎて、正直、見通しも立ちません。
冷凍庫の中の物、融けちゃいましたし。

祖母の家は、人が住める状態ではなくなりました。
ただ、祖母のいた居間だけは無事だったのが本当に良かったです。
叔父叔母の家は津波で一回部分まで浸水したようです。
でも、こちらも全員無事だったので、安心しました。
一週間位連絡が取れない状況というのは、気持ちには良くありません。

自分の周りの、本当に小さい範囲については、こんな感じでした。
もっとマクロなことで思うことも無くはありませんが、まだ総括する時期では全然ないと思うので、そのうちにでも気が向いたら書くかもしれません。
ただ、当たり前のこと過ぎますけれど、今回のことで多くのヒトの人生が変わったと思います。
恐らく、自分も。
比較はできませんけどね。

次回からは普通の話に戻りたいなあ、と思っています。
「次回」がいつになるかは、まあおいおい。
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