一年の始まりに
明けてから二日くらい経ってしまいましたが、新年明けましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願い致します。

いよいよ2011年になりました。
特に2011年に思い入れがあるわけではないのですが、「年が変わる」ことはそれ自体が大きな節目です。
どのくらいに大きな節目かというと、何かの記録の際に年月日を記載するとき、うっかりと「2010」と書いてしまった後に、ああもう、と思いながら「2011」と書き直すことを繰り返すくらいに大きな節目です。
これが下手をすると2ヶ月くらい続くので、その影響力は大であると言えると思います。

2011年。
まだ360日以上残っていますので、この一年がどのような一年になるかを予測することは難しいです。
予測できるのは、おそらく「2011」を「2010」と書き間違えることを必ずやらかすだろうなあ、ということくらいで。
言葉を換えれば可能性の幅が大きいんです。
何か根本的な変化が起きるかもしれませんし、何も変わらないままに年末を迎えているかもしれませんし。
そうであってもある程度の予測は、あるいはもう少し意志を込めて「予定」と言ってもいいですけれど、ある程度の予定は立てておく必要があるのではないかとも思います。
個人的には恐らく、多分、きっと、変化への準備の一年になるのではないかなあ、と考えています。
それがどのような変化かは、まだ確定できてはいないのですが。

未来の予測は難しいですが、願望を持つのは自由です。
この一年が、皆様にとっても実りのある一年であることを願っています。
あと、多分一回くらいはどこかで書き間違えると思います。
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kasa / 雑記 / comments(2) / trackbacks(0)
空気を持って、ふわふわと
めでたく2010年買って良かったもの大賞を受賞したMacBook Airですが、この存在のおかげで随分と生活が変わりました。
すごく、生活の自由度が上がったんです。
軽くて速くて、どこにでも持っていけるのが、本当に便利です。
Dropboxで全てのデータを母艦のMacBook Proと同期しているので、ネット環境さえあれば仕事に場所を選ばなくなりました。
後ろ向きな言い方をすると、職場にいなくても仕事ができるようになりました。
お手軽に。

私が普段居る大学の構内は、場所によっては無線LANが飛んでいます。
「場所によっては」が曲者だったのですが、最近、大学の図書館でも無線LANが利用出来ることが分かりました。
キャンパスを選ばないでどこのキャンパスでも飛んでいる無線LANなので便利なのですが、始まったばかりのサービスらしく、現状で自由に使えるのは教職員だけのため、学生の後輩や友人に勧められないのが、少々残念ではありますが。
図書館は夜の12持まで開いてますし、暖かいですし、机もたくさんありますし、快適なのです。

こんな環境のため、私はMacBook Airだけを持ってふわふわとキャンパス内で場所を変えながら仕事をすることが増えてきました。
そうすると基本的に一人で仕事に集中できるため、気がとても楽です。
職場にいるとどうしても話しかけられたり余計な仕事が発生したりするので。
職場放棄と取られないギリギリのラインで、あっちで仕事したりこっちで仕事したりをしたいと思っています。
場所が変わると気分も変わるので、その効果も大きいです。

MacBook Airは、持ち主を空気のようにふわふわさせる、かなり威力のある道具だと思います。
元々かなりふわふわはしてましたが、そのふわふわっぷりに磨きがかかりました。
そのうちふわふわしすぎて戻れなくなってしまいそうなくらいに。
戻りたくないときに戻りたくない気持ちのままにふわふわできますし。
ふわふわふわふわ。
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kasa / Mac / comments(0) / trackbacks(0)
ゾロ目は遠い日の彼方に
以前、生後10000日だぜイエイ、と言うエントリを書いたことがあります。
どことなくなんとなく;9999
正確には9999日ですね。
このときが、2007年12月19日。
3年と少し前。
1年が365日ですから3年で1100日くらい、と言うことは生後11111日が近いのではないかと思い、日齢計算というサイトのお世話になって計算してみました。

その結果、

11119


やっちまったZE。
一週間くらい過ぎてましたなんてこったい。
私の11111日は、取り返しのつかない過去として過ぎ去ってしまいました。
もう二度とこんなことがないように、私の記念日をここに貼っつけておくことにします。


Kinennbi


とりあえず、この中で重要なのは12345日になる2014年5月22日と20000日になる2035年5月7日ですね。
忘れないようにしないと。

27歳の人は生後10000日を、30歳の人は生後11111日を、33歳の人は生後12345日を、54歳の人は生後20000日を、それぞれ確認しておくことをお勧めします。
決して、私の失敗を無駄にしないようにして下さい。
取り返しがつきませんので。
取り返す必要があるかは、おいておいて。
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吾輩は一人称である
一人称には色々あります。
私とか僕とか俺とか吾輩とか拙者とか朕とか某とか、色々。
普段の生活ではこれらの一人称のうちの、使いやすいものを時と場所と状況に応じて使い分けている人が多いのではないかと思います。
意識的無意識的に。

フォーマルな場では「私」、半フォーマルだけど少しは崩れるのが許される場では「僕」、友人や気心の知れた人たちの前では「俺」などです。
この一人称の使い分けは、他人の自分に対する印象に影響を与えるため、使い方がとても難しいです。
小学校の高学年くらいから高校いっぱいくらいまでの間、何を使っていいか分からずに、一人称を一切使わないで会話をしていた時期もありました。
そのくらいに、一人称はセンシティブになりうる問題です。

一人称が印象に影響を与える例として、小説や漫画や映画などの登場人物が使う一人称が挙げられると思います。
「吾輩は猫である」が、内容はそのままに「僕は猫です」であったなら、受ける印象は全然違ったものになりそうです。
僕は猫です。
名前はまだありません。

そのように考えて、一つ一つの一人称の成り立ちや語源を調べると、中々面白かったです。
日本語は一人称と二人称の区別が曖昧らしく。
「俺」も、もともとは「おのれ」で、これは自分を指す場合も相手を指す場合もあります。
「自分」もまさにそうですね。

因みに、今回のエントリは意図的に一人称を使わないで書きました。
このブログでは、始めた当初から今に至るまで一貫して一人称は「私」でした。
私にとって、このブログが一番社会的にフォーマルだと言うことですね。
今も背筋をビシッと伸ばして書いてるくらいですから。
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kasa / 雑記 / comments(0) / trackbacks(0)
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