自動車学校
私、齢27にして自動車学校に通っているんです。
通いはじめたときに、一度だけここにも書きました。
どことなくなんとなく;引き算が苦手

何故比較的楽だった学部学生の頃に通わなかったかは、自分でも甚だ疑問なのですが、あの頃はあの頃なりに通いたくなかったので仕方ありません。
今はさすがに毎日通うわけにもいかず、基本週末にこっそりと通う感じでした。
間が空くので前の時間のことをすっかり忘れていて、教官に「オートマにしたら」とか嫌みを言われる日々に耐えて、涙が枯れ果てた先に、ついに。
仮免の検定までこぎつけました。
苦節3ヶ月半、長かったです。

そんなわけで今日、仮免の検定を受けてみたんです。
仕事は「仮免を受けるので夕方まで来ません」と言って。
ちなみに車を運転するのは6月21日以来12日ぶり、その前に運転したのは6月7日という、大胆な間の空けっぷりでした。
こんなのはハンデのうちにも入りません。

仮免落ちました。
ハンデをつけるまでもないのは、それ以前の問題だから。
車の免許取得への道は、限りなく遠いです。

お陰で研究室には、昼前には行くことができました。
「仮免落ちました」「あははは」
なんだか和やかな雰囲気。
しかも、早く行ったおかげでできた実験で、今まで苦労していた問題が解決した雰囲気。
なんだか悪くない感じ。

総じて見れば、仮免落ちたこともそんなに悪いもんでもないな、と思った一日でした。
決して良いもんではないんですけど。
できれば受かりたかったですけど。
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ぶらり温泉の旅
先週末に一泊で温泉に行ってきました。
疲れた心と身体を癒しに行くという名目で。
実際、どこまで疲れていたかは謎なんですけど。
果たして温泉で癒されるかどうかも謎なんですけど。

温泉に行った土曜日は、気温、湿度ともに高く、じっとりと汗が滲むような天気でした。
ある意味で温泉日和。
宿に着いたら早速、温泉に向かいました。
7階にある展望風呂です。

浴衣やタオルなどを持って温泉に出かけ、脱衣所に入りました。
すると、なんだか様子がおかしくて。
人が寝転んでいるんです。
周りには人が数人居て、バスタオルで足を抑えていました。
足の位置は、心臓よりも高め。
明らかに温泉内で転倒して怪我をした人です。
タオルで太ももを縛ってはいなかったので、出血はそれほどでもなかったのかもしれませんが。
状況を見る限り、タイミング悪く来てしまっただけの私に出来ることはなさそうだったので、気にせずに温泉に入ることにしました。
服を脱いで全裸まであと一歩という所で人が宿の人が数人入ってきて。
女将と思しき人も入ってきて。
なんだかちょっと気まずかったです。
転倒に注意しながら温泉を満喫。
非常にいい気持ちでした。
靴下を片方無くしました。

夕食を済ませ、部屋でまったりとしたあと、23時頃に今度は露天温泉へと行ってみました。
脱衣所に入ると、見知らぬおじさんに声をかけられました。
「にいちゃん、気持ちよかったぞ」
私はおじさんの方に視線を向けないまま、反射的に答えました。
「マジっすか。良いですね」
こう答えてからおじさんの方に視線を向けたら、そのおじさんの身体には模様が彫り込まれていました。
露天では他に誰もいなく、ずっと私一人だったため、ふわふわしたりぷかぷかしたりゆらゆらしたりと、非常に満喫できました。
温泉に来て癒されてる!と思い込むことにも成功しました。

本当は次の日の朝も温泉に入りたかったのですが、当然朝に起きれるわけも無く、慌ただしくチェックアウトして温泉の旅はお終い。
いい気分転換になりました。
たまにはこう言うのも悪くありません。
また行きたいですね。
また非日常に逃避したいです。
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光陰
大昔に書いた記事が、なんとなく今の私を表していて、実感を込めてなんとなく理解できたため、再掲することにします。

どことなくなんとなく;光陰(200645日)
一日は24時間。一年は365日。
時間だけは万人に平等だと良く聞くけれど、本当にそうなんだろうか。

人間、歳をとって社会的地位が上がるに伴って、或いは結婚や子供などの要素が加わることによって、「自分のために使える」自分の時間は確実に減少します。
「自分以外の何か」に忙殺される時間が段々増えていきます。
かと言って、そのことが悪いことかと言えば、多分そうでもないはずです。
「子供のため」「家族のため」「仕事のため」と納得できる時間の使い方である場合も多いと思うからです。
ただし、純粋な意味での「自分のため」の時間は限られたものになると思います。
ここで「純粋な意味」と書いたのは、上記の「子供のため」「家族のため」「仕事のため」も最終的には「自分のため」であるとも考えられるからです。
今回書きたいのは、一義的な意味での「自分のため」の時間ですので。

私自身、何となく納得していた話に、「歳をとると時間の進み方が早く感じる」という現象がありました。
「現象」と言っていいか分かりませんが。
私が納得していた説明としては、「歳をとると、今までに経験した時間に占める一定時間の割合が減るから、短く感じる」という説明でした。
つまり、10歳の人にとっての1年は10分の1の時間ですが、50歳の人にとっての1年は50分の1であるため、短いと感じてしまうというものです。

今日ちょっと思ったのは、「時間が短く感じる」のは、そもそも「自分の時間が少ないから」であるのではないからかな、ということです。
たまの休日が「あ、もう終わりか」と感じてしまう気持ちにちょっと似てるかもしれないです。
時間はあるように思っても、意外に少ないのかもしれません。

私は今、25歳です。
大体25歳の人は、働いている年齢だと思いますし、結婚して子供が居てもおかしな年齢ではありません。
でも私は未だに学生という身分で時間を消費しています。
今学生であることは、紛れもなく私の意思で進学したわけですし、我が侭を通した結果ですので、「自分のための時間」にカテゴライズされて然るべき時間です。
「24時間」は平等だけれど、「自分のための時間」はきっと多いんだと思います。
でも、果たしてこの時間を有効に利用しきっているだろうか、と考えた場合、残念ながら現状では完全に肯定することが出来ません。

時間はあるようであんまりないし、今のうちにもうちょっと頑張ろうかな、という話。
27歳現在の私は、この頃思っていた未来にいるのだろうか、そしてこの頃思っていたように時間を使えているんだろうか。
考えるとキリはないのですが、少なくても「自分のための時間」は減っているように感じています。
でも、それはそれで悪くもないかな、とも思えているので、きっと悪くない時間の使い方をしてきたはずです。
そう思い込んだ方が、きっと色々と幸せなはず。
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日陰者
昨日も今日も非常に暑い一日になっています。
昨日などは今年初めて半袖を着てしまいました。
今日は長袖ですけど。
エアコンが寒いんですよ、半袖だと。
そのくらい暑い一日になっています。

この暑い中、道を歩こうと思うと、どのようなコース取りで歩くかがとても重要になります。
具体的には、日陰を如何にして歩くか、ということです。
普段から日陰で生きている私にとっては、日向は危険なのです。
暑いんです。
目的地に行くために複数の道順があるとして、その道の中でどの道が一番日陰が多いだろう、と考えます。
街路樹等は非常に重要な要素ですね。
陰の面積が広いですし、コンクリートの陰よりも木の陰の方が涼しいような気がしますし。
炎天下を歩く上で、陰の見極めはとても大切になります。

先日、自動車学校の仮免に落ちてしまったことは書きました。
あれは地味にショックだったんですけど、考えても仕方ないのでまた仮免を受けないとなりません。
そして仮免を受けるためには一回「補修」を受けないとならないようなので、本日その補修を受けてきました。
仮免リベンジの日は来週の土曜日です。

自動車学校から大学の研究室まで徒歩で30〜40分くらいなんです。
何となく歩こうと思った私は、歩いて研究室に向かいました。
ちょうど12時半を回ったかどうかという時刻。
日差しは強く、陰は極小の時刻。
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つー(少し余裕がないんですよ)
かー(というわけで時間のあるときにきっちりと更新しますね)
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