Blogに対する責任
あんまり詳しくは書きませんが、ネットの片隅でちょっとした騒動がありました。
とある事件に関して、少し不適切な内容のブログを書いた人がいて、その人は実名でブログをやっていて、大学の教員で、その事件に関する記事だけでなく、ブログ全体が「ちょっとさすがにマズいだろ…」という記事、発言だらけで、炎上して、その人が所属する大学に電凸する人が現れて、大学が謝罪して、本人も謝罪して、みたいな騒動。
これって、凄く難しい問題をはらんでいると思います。
個人的に運営していたブログの記事に対して、大学側が謝っちゃったんですよね。
つまり、(大学の管轄外で)勝手にやってたことに対しても、大学が責任を担保してしまった形です。
これは、ちょっとマズいんじゃないかなあ、という感想を抱きました。
あくまでも、「個人」としてのブログ内での発言に関しては100%その個人が責任を取るのが筋だろう、と。

もし大学側が謝る(責任を認める)と、事実上、大学の教員には色々と好き勝手に表現する自由が無くなりますし、大学側も教員全員の全発言に対して責任を負う義務が生じます。
大学の管轄内での話であれば、これは当然ですが、それ以外、個人的に行っている事柄に関しては、その個人に対して大学側が責任を追及することがあっても(例えば、大学自体に不利益が生じた場合)、大学側が責任を担保するのはちょっと話が違ってきます。
別にこれは「大学」だけでなく別の組織(「企業」とか)でも同様だと思います。

さて、私自身に関しての話になりますが、私は一応、大学の教員という肩書きです。
末端構成員ですが。
その私がこのブログに日々適当に垂れ流していることに対して、大学に責任があるとは到底思えません。
一応匿名ですが、過去記事を漁って調べれば、私個人に行き着くことはそんなに難しくないはずです。
そんな状況の私のブログについて、もし大学側に責任が生じるのであれば、私にとっても大学にとってもこのブログは百害あって一利無し、です。
わざわざツッコミどころを提供しているわけですから。
あくまでも文章に対する責任は「私自身」にあるとしているからこそ、私は好きにここに文章を書けているんです。

「どことなくなんとなく」のせいで、私の所属する大学が「ごめんなさい」と公に認めるような事態になったとしたら。
考えるだけで悪夢。
今すぐこのブログを全削除した方が良いんじゃないかと思ってしまうくらい、悪夢。
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kasa / 雑記 / comments(6) / trackbacks(0)
絵文字
私の使っているPHSであるところの、Advanced W-ZERO3[es]はちょっと前まで絵文字の表示ができませんでした。
絵文字を表示させるためのアップデータが出たのが3月、私がそのアップデータを自分のアドエスにインストールしたのがついさっきですから、ホント「ちょっと前」まで絵文字の表示ができなかったんです。
絵文字は、全部文字化けしてました。

特に女性から貰うメールには、絵文字がふんだんに使われていることが多いです。
でも、私のアドエスは表示できなくて、完全に化けてました。
具体的には■や□に。
文字は読めるので文意はとれるのですが、最後の仕上げである「ニュアンス」がさっぱり分かりませんでした。
その辺は勘で返信です。

それが、ついさっきアップデータをインストールしたことで、とうとう絵文字が表示できるようになったんですよ!
それで以前貰ってたメールを再チェックしてみたら、何というかカラフルでした。
怒りマークとかどくろマークとか、そんなのばかりだったら返信空気読めてなかったなー、と思っていたんですけど、幸いそのようなものはありませんでした。
これからは問題なく、空気を読んだ返信ができそうです。

それにしても、自分ではこの「絵文字」というものを全く使わないので、ものによっては全然意味がわかりませんね。
明るいように見える絵文字でも、もし裏の意味があったら大変です。
そんな裏の意味は知らないままに、単純に喜んでいるのがきっと正しい絵文字との付き合い方ですね。
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kasa / ガジェット / comments(0) / trackbacks(0)
戒め
このブログで何度か、ヴォルテールのこんな言葉を取り上げたことがあります。
「私は君の言うことには反対だ。しかし、君がそれを言う権利は死んでも守る。」
どことなくなんとなく;議論にならない
どことなくなんとなく;話せば分かる?
どっちも愚痴がメインのエントリなので、読む必要はありませんが、一応参考です。

この言葉って、議論する時だけでなく、自らが情報を発信する場合にも心に留めておく必要のある言葉だと思います。
自分が何かを言う権利を有しているということは、他の誰かだって何かを言う権利を有しているわけで。
でも、「それを言う権利」を得るためには、どれほどの「義務」が必要なんだろう、ということも、最近少し考えるようになりました。
その「義務」は、どれほどのコストなんだろうか、と。

もちろん、状況やタイミングによって一概に言えるものではないと思いますが、最低限、他人に不快感を与えない(与えようという意思を込めない)ことではないかと、今のところは考えています。
文章の受け止め方は千差万別ですから、万人に「不快感を与えない」ことは難しいかもしれませんが、少なくても「そのような意思を持たない」ことは可能だと思います。
明らかに悪意の込められている文章は、読んでて何となく分かりますしね。
このコストを支払った上で、「それを言う権利」は得られるのかな、と。
意見自体が対立することは、むしろ当然ですし。

こんな風にグダグダと色々と気にするようなら、始めから「それを言う権利」を行使しないのが、本当は一番ラクなんです。
「口は災いの元」ですしね。
今風に言うと「ブログは炎上の元」かな。
ま、それでも色々と適当なことを言えるおしゃべりって、結構楽しいんですよね。
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ゴールデンウィーク
今日でゴールデンウィークも終わりです。
今年は、なかなか充実した連休を過ごすことが出来ました。
去年まで6年くらい、基本的にゴールデンウィークも大学の研究室で実験をしたりしていたのですが、今年は大学にはあんまり行かずに、色々な人と会いました。
こんなに連日、別々の人とご飯を食べたりお酒を飲んだりしたのは、久しぶりです。
5月4日に一緒に食事をした友人にこのことを話したら、「このリア充め」と言われてしまいました。
ちなみに「リア充」は、「リアルが充実している人」のことです。
充実しているかどうかは分かりませんが、楽しかったのは事実です。

5月3日は、元居た研究室の後輩と差しで飲み。
5月4日は、高校時代の友人とその奥さまと一緒に食事。
5月5日は、今居る研究室の人と差しで飲み。
5月6日は、部屋でまったり。

それぞれの人との会話の内容については、それぞれの人と話をしたのでここに書く必要はありませんけど、一つ一つが楽しかったり難しかったり考えさせられたりしました。
色々ですよね。
私はいつの頃からか、あんまりコミュニケーションが上手ではなかったんですが、ここ1、2年くらいは10年前に比べて、というか10年くらいかけて、ようやく色々な人とコミュニケーションをとっても大丈夫なんだなあと実感を持って言えるようになった気がします。

ところで、ゴールデンウィークに少し遊びすぎてしまったせいで、実は仕事が何個か遅れ気味です。
明日から本気出します。
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階段
私の所属する研究室は、建物の7階にあります。
ずっとエレベーターで上り下りしていたのですが、最近階段を使う頻度が増えました。
とは言え、健康のためとか運動のためとか、そんな意識は毛頭なく、単にエレベーターよりも階段の方が気楽だからです。
エレベーターのように待つ必要がありませんし、誰か知らない人と乗り合わせることもありませんし、エレベーターの中の独特の雰囲気に苛まれることもありませんし。
7階程度なら、上り下りしても大したことありません。
むしろ、ちょっとした考えごとをするにはちょうどいいくらいで。
無駄に何度も階段を上り下りするくらいで。

ところで、今まで全く意識したことがなかった上に調べもしていないので分からないのですが、階段を「上るとき」を基準にした場合、「右回り」とか「左回り」とか、どちらかにしないとならないルールってあるんでしょうか。
途中で折れ曲がった場合の、曲がり方の話なんですけど。
今いる建物は、右回りなんですが、前いた建物は左回りだった気がします(うろ覚え)。
これから、階段を上るたびに意識してみようと思います。
面白い結果が出て、気が向いたときには報告したいと思ってます。

そんなこんなで、今日も階段を上ってました。
誰も階段になんて来ないと思って油断して鼻歌とか歌ってると、ちょっと危険ですね。
遭遇してしまった人が同じ研究室の人だったりすると、もう。
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kasa / 雑記 / comments(0) / trackbacks(0)
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