研究2.0
友人がプログラマー的なことをやっている関係で、その界隈のWebサイトやBlogをよく見てしまいます。
私はその分野はさっぱりなので内容は殆ど分からないんですが、それでも一つ羨ましいと思うことがあります。
みんな積極的に自分の書いたソースコードを公表して、お互いにツッコんだりツッコまれたりしているんです。
もちろん書けない内容もあるとは思いますが、結構深いところまで突っ込んだ議論をしているような印象を受けます。

私は専門が生物学なのでどうしてもその方面で考えてしまうのですが、この方法論を研究の分野に応用したら、凄く面白いと思います。
現段階では発表の場は論文や学会にほぼ限られています。
ここにもう一つ、「Web」を追加してみるんです。
各々の研究者が自分の研究、データ、仮説をオープンに発表し、それに対して色んな人が色んなツッコミを行います。
発表するときには「生理学」「分子生物学」「薬理学」などのタグを付ければ、似た分野の人が集まりやすいです。
Web上で発表したものに関しては、その研究者に権利は帰属するものの、誰であっても応用可能として「オープン」に扱います。
業績などは該当サイトの被リンク数や、あるいは「はてなブックマーク」みたいなものを導入しても面白いと思います。
インパクトファクターよりも意味のある数字になりそうです。
加えて勉強不足の研究者(つまりリンク数、被リンク数の少ない研究者)は淘汰されるでしょうし、逆に優秀な人は若くてもどんどん進んでいくことが可能になるかもしれません。
経験の浅いうちは研究室内、あるいは大学内でSNSと言う形で同様のことを行い、経験を積んでから外の世界に出てみればいいように思います。
万が一これが実現したら、色々なものが抜本的に変わるような気がします。
「研究」の本質を「真理の探究」あるいは「新技術の開発」にのみ求めるならば、オープンにすることのデメリットは少ないと思います。
残念なのはこの仮定が仮定に過ぎないことです。

上記のことは「技術的には」実現可能です。
「実際的には」しばらくは難しいのではないかと思います。
解決しなくてはならない問題が多そうです。

とりあえず、現段階では今ある方法で発表しないとなりません。
論文を書くのは大変です。
博士号の取得のためには論文は必須です。
いくらブログを書いても博士号は貰えないんです。
もしブログで博士号を貰えるなら、私なんかはそろそろ貰ってますよ。
博士(屋上)あたりを。
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kasa / 研究 / comments(0) / trackbacks(0)
シコウの狭間で
ここに書いている文章には、私自身の思考や嗜好や指向が強く反映されています。
エントリするたびに試行しているわけです。
でもここ最近の文章を読み返してみたら「思考」と「指向」ばかりで「嗜好」の話題があんまりありませんでした。
なのでちょっと反省して今日は好きなものの話です。

私はみかんが好きです。
食べ物の中で一番好きです。
ブログを書き始めて間もない頃にも言及しています。
そしてみかんと言えばやはり冬のイメージが強いです。
こたつの中で味わう甘酸っぱさは冬の醍醐味の一つと言っても過言ではありません。
温室で育てられたみかんなどは季節にかかわらずに食することが可能ですが、味に物足りなさがあることは否めません。
シャキッとした甘さ酸っぱさではなく、何となくぼやけた無理矢理育てられたんだなー、という味です。
やはり冬のみかんこそ至高の逸品。

「シコウ」って結構沢山の言葉があるみたいです。
そしてこのエントリを書いているときには、全く話には関係のない元ジャイアンツのシコースキーが頭から離れなくて大変でした。
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kasa / 雑記 / comments(0) / trackbacks(0)
淡雪の中で
仙台で初雪が観測されました。
手の平でかたちを無くす淡雪です。
これからどんどん寒くなるんでしょうね。
12月は個人的に一年で一番寒さを感じる時期です。
記事を見返してみたら、どうやら去年も12月3日が初雪だったみたいです。
どことなくなんとなく;雪の降る街を
今年とは対照的に割と大雪でした。
しんしんと降る雪も好きですが、今日のようにちょっと控えめな、すぐに消え去ってしまうような雪も好きです。
屋上で寒さに震えながら飲む、缶のコーンポタージュの美味さは極上です。
そこに舞い散る雪があれば言うことはありません。
はぁ、とはき出した溜息が一瞬かたちを残し、そして霧散していきます。
その一瞬には、私のどんな感情の残滓が込められていたんだろう、と。
そんなことを考えていました。

今日に限っては溜息に込められた感情は明らかでした。
明日のゼミでの発表準備が全く終わってなかったので。
やりたくないしやる気も出ないけど流石にやらなきゃマズいよなーという感情です。
結局やる気のないまま完成させたので問題なしです。
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kasa / 季節 / comments(0) / trackbacks(0)
ほどほどの維持
心身共に活力に溢れていて、積極的にアグレッシブに、どんどんと進んでいけるように見える人も稀にいますが、私は残念ながらそうではありません。
一つのことをやるためのやる気を出すために数日必要なことなどはざらで、結局やらずに放置してしまうこともあります。
放置できるような事柄なんだからやらなくてもいい、という考えもあります。
一部同意しますが、放置しなかった場合を考えるとやはり溜息がでます。
今振り返っても「もっと色々出来たはずなんだけどなー」と思わなくもありません。
しかし私には出来なかったという現状だけがここにあります。

最近は「先に進む」という意志よりも「後ろに下がらない」という危機感の方が行動の動機になっているように感じます。
光の速度に近づけば近づくほど、そこからスピードを上げることが困難になるように、ある程度進んだところから「更に」進もうとするのは膨大なエネルギーを必要とするのかもしれません。
「維持」するだけでも一杯一杯。
私の場合はまだ光速どころか自転車並の速度のところで戸惑っているのかもしれませんが。
自動車に乗るためのライセンスを持ってないですから。

考えてみると私は昔から「ほどほどの維持」を続けてきた気がします。
小学中学高校大学大学院とずっと。
環境が変わるたびに「ほどほど」の基準線を引き直しただけで。
今はその基準線を引き直さないとならない時期に差し掛かっています。
出来うる限り放置してスルーして見て見ぬふりをしていましたが、基準線の改訂時期です。
一年以上の長期的スルーでした。
今は「引き直さないとならない」と認識はしたけど、グダグダとしている時期です。
冬の日の朝の布団の中のもう後2分の心境に近いです。

残り2分。
明日も適当にがんばるぞ、と。
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ジョハリの窓
よく「自分を客観視した方がいい」という論調を見かけます。
しかしこれは明らかに矛盾です。
自分のことはどう見たって「主観」としてしか捉えられないと思います。
重要なのはその主観が正確であるかどうか、ではないでしょうか。
でも「正確な主観」というものはとても難しいです。
どうしても「過大に」あるいは「過小に」評価してしまいがちです。
そして他人が「客観的に」下した評価と、自身の「主観的な」評価の乖離が大きいと、それはとても不安になります。

心理学者のJoseph LuftとHarry Inghamが発表した「対人関係における気づきのグラフモデル」というものがあります。
ジョハリの窓のことです。
これでは「自己」を4つに分けています。
「自分も知っているし他人も知っている自己(開放の窓)」と「自分は気づいてないものの他人には見られている自己(盲点の窓)」と「自分には分かっているが他人には分からない自己(秘密の窓)」と「自分も他人も気づいていない自己(未知の窓)」と。
「主観」には「盲点の窓」がありませんし、「客観」には「秘密の窓」がありません。
すると「主観」と「客観」との乖離には、この二つの窓の差が大きな役割を果たしていると思います。

私は「自分は過大評価されすぎだよな」と感じることがあります。
でも自分自身を過小評価しているのかもしれません。
私自身が気づいていない部分に何か評価に値することがあるのか、自分しか知らないことに何かやましいことがあるのか。
やましいことの心当たりは多いですけど。

本当は評価なんて気にしないで自分の思うことを自分のやりたいようにやれれば最高なんだと思います。
今やりたいことをやれるならば、全部放り投げて温泉にでも行きたいです。
来週研究室の講座旅行で温泉に行きますけど、そう言うのではなくて一人でぶらりと。
湯けむり殺人事件。
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