沈黙ではなく静寂
言葉の大事な機能の一つは、相手に自分の意図を伝えることですから、複数人の人間が居るときには「会話」がなされることが多いと思います。
適当な話題について語り合い、常に誰かの声が場の空気となっている、そんな雰囲気です。
気の合う友人達との和やかな会話というのは、非常に面白いですし、とても楽しみでもあります。

一方で、何人もの人間が居るにも関わらず、沈黙が空気を制してしまうことも往々にして起こり得ます。
その場合には「気まずい」と表現される雰囲気が溢れていきます。
「何かを言わなきゃ」と思えば思うほどに、その気まずさが心を支配してしまい、どうにもこうにも空回りです。

しかし、お互いに何も言葉を発しなくても、むしろその空気が心地良い、という関係もあり得るはずです。
相手がいることこそが、自然である感じ。
そんな関係にちょっと憧れます。

中には自分一人しかいないのに、ブツブツと何かを言っているような人もいるんですから。
私は違いますけどね。
ブツブツ言ってしまうのはたまにです。たまーにです。
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kasa / 雑記 / comments(0) / trackbacks(0)
雨と夕日と雲と虹と
夕方、非常に強い雨が降っていたのですが、急に空が明るくなってきました。
夕日が雲に反射してオレンジ色になり、虹が出てきました。
依然雨は降ったまま。
明るさと暗さがお互いを引き立て合い、景色のコントラストが非常にクッキリとしている様子は中々綺麗でした。
よく知っているにも関わらず、全く知らない風景でした。

そんな風景も写真に撮るとイマイチ再現が取れません。
写真というのはとても難しい。
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kasa / 季節 / comments(2) / trackbacks(0)
危険なのはどこ
生きる上では、食べることを避けられません。
食べるためには、「食べ物」が必要です。
そして、どうせ食べるなら安心できる物を食べたいと思うのは、至極当然の話だと思います。

「安全」「危険」を見分けるためには当然のことながら情報が必要です。
例えば「有機野菜」、これは一般的には安全だと言われています。
農薬や化学肥料は使われてなさそう、というイメージが広く知られているからです。
ここのサイトに「有機農産物」の定義が書いてあります。
少しだけ引用します。
薬や化学肥料は原則として使用しないこと。(ただし、農薬物に急迫または重大な危機がある場合であって、通常の有機農産物に係わる防除方法のみでは有害動植物を効果的に防除できない場合に限り、有機農産物の国際基準に準拠した30種類の農薬の使用は認められています。)

つまり、限定条件ながら、農薬を使われている可能性があるわけです。
「農薬」が危険かどうかは別問題ですよ、念のため。
また、「無農薬栽培」という場合。
これは表示が正しいならば農薬は使っていないことになります。
しかし「有機栽培」とは表示できない理由があることは明らかです。
ここでまた、前述の「有機農産物」の定義を少しだけ引用です。
種まきまたは植え付けの時点からさかのぼり2年以上(多年生作物にあっては、最初の収穫前3年以上)、禁止されている農薬や化学肥料を使用していない水田や畑で栽培されていること。

無農薬に切り替えてから2年経ってない可能性が高いと考えることが出来ます。

また、一般的に「ちょっと危険かもな」と認識されているものとしては、「農薬」や「遺伝子組換え」などがあるように感じます。
確かにこれらのものは危険性がないとは言えません。
しかしその反面、しっかりと安全性が評価されている可能性が高いので、「安全基準を満たしている」という側面で考えると、「安全だ」と言うことが出来るとも考えられます。
私自身はコスト、手間、生産量の観点から考えると「農薬」や「遺伝子組換え」は必要であると考えています。
「遺伝子組換え」に関しては以前にも書きました。

日本では人口は減少傾向に転じましたが、世界的に見ればまだまだ人口は増え続けています。
そして日本が食料の大部分を輸入に頼っている以上、人口の増加=食料需要の増加、は非常に大きな問題であると認識する必要があると思います。

「食べ物」そのものは「安全」でも「危険」でもありません。
人間が評価することでそれらが決定されます。
そして評価するためには情報は絶対に必要です。
「有機栽培」や「遺伝子組換え」という言葉だけに惑わされてしまうことこそが、一番危険なことなのではないかと考えています。
近い将来、各技術の利益とそれに伴うリスクを認識して、自分自身の判断で食べるものを選んでいかなくてはならなくなると思います。

そのための「情報の開示」がしっかりとなされているとは思えないのが、一番もどかしい部分でもあります。
自分たちのエゴだけを優先して、都合の良いところだけを煽るだけ煽る風潮がある気がしてなりません。
自分としては、美味しい物を美味しく頂ければ、それで充分なのですが。
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kasa / 科学 / comments(0) / trackbacks(0)
虹の向こうに
まさか、3日で2回も虹を見られるとは思ってませんでした。
今日の虹は、大きくて鮮やかでした。
一昨日の失敗をふまえて、カメラの設定を変えて何枚か撮ってみました。
載せているのは、一番綺麗に撮れたと思っている写真です。


そして虹の向かい側にはこれもまた鮮やかに雲が光っていました。


今日はとても運が良い一日だったんだな、と何となく思いました。
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kasa / 季節 / comments(2) / trackbacks(1)
不躾な隣人達
やはりこの話題は書かないわけにはいかないかな、と思ったので。
北朝鮮は7発のミサイルを撃ちました。
韓国は日本の排他的経済水域に侵入してきました。
どっちも「戦争」を始めるのに十分な理由なんです。世界的には。
ただ、日本は戦争を放棄してますし、やられたことを力でやり返すというのも相手と同レベルになるので。
しかし何らかの方法で、思い知らせる必要はあるんじゃないかな、と思います。

非常に違和感を感じるのは、マスメディアではことあるごとに「韓国との友好」を煽ってきたということです。
落ち着いてきましたが「韓流」ブームを始め、CMを平気で韓国語で放送しているものもあります。
また、最近ではマスメディアにとどまらない動きになっています。
先日京都に行ったときは、全ての標識(というか案内の看板)の表記が、「日本語」「英語」「韓国語」だったのが、非常に驚きでした。
「日本語」は母国語ですし、観光都市京都としては「英語」での表記も必須でしょう。
しかし「韓国語」が分からない。
日本語以上にマイノリティーな言語にすぎないのに。

一生懸命に「友好」を煽っている対象の国が、日本にとって「友好」するに値する国であるとは、とても思えません。
「北」に関しては言うに及ばず。
なぜ、あんなに厚遇する必要があるんでしょうか。
まあ、それで得をする人間が居るからなんですけどね、多分。

ひとんちに向かってミサイルを撃ったり、勝手に入ってきたりするような非常識極まる事柄が一日のうちに起きました。
本当に理解できません。
毅然とした対応を期待しています。
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kasa / ニュース / comments(0) / trackbacks(0)
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