岐路
3月ってのは色々と岐路に立つ人が多い。
今の環境から旅立って、新たな環境に飛び込む人。
今日はそんな人達のセレモニーでした。

今日は、後輩達の卒論発表の日でした。
そしてその後の飲み会。
4年で発表した後輩達は大抵が修士に進むので4月からも環境は変わりませんが、M2で修士を取った後輩達は大体が春から就職です。
大学の研究室での研究はお終い。
みんな、それぞれの道に進んで行きます。

その一方で、春から研究室に配属になる新4年生(今は3年)はニューフェイスです。
明日それぞれが行きたい研究室を決定するはずなので、今日は色々考えている頃だろうと思います。
うちの研究室は正直いろいろ問題があってお薦めは出来ませんでしたが、来る人に関しては大歓迎です。

私は来年度もこの研究室に留まるので、環境は変わりません。
でも去って行く人がいて、やってくる人がいる。
そう考えると私にとっても春からは環境が変わるのかなー、とも思いました。
毎年のことなんですが、何となく感慨深いです。

とりあえず、行く人も来る人も留まる人も、みんな頑張れ。
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偽りんごジュース
ずっと前から思ってたんですが、大腸菌の培養液ってりんごジュースによく似てます。


こんな感じ。(分かりにくいかも)

しかも安っちいやつじゃなくて、絞りたて風味満載の高級感溢れるやつに似てます。
濁り具合が。
もしこれがコップに入って机の上に置いてあったら、うっかりグビグビッと飲んでしまうかもしれません。
飲んでしまったらもう終わり。
トイレに引きこもることは確定です。

ちょっと真面目な話をすると、大腸菌ってのはとても便利です。
組み換えたDNAを一晩で数億倍に増やしてくれます。
今日もそんな感じで増やしてました。
そして偽りんごジュースから組み換えたDNAを抽出してました。
取れ過ぎなくらい取れました。

このように私にとって大腸菌はとても近しい存在です。
多分マウスの次に近しいです。
でも近しいだけに、油断してしまいがちなのもまた事実。
実験の後に手を洗うのを忘れたまま色々なことをしてしまったり。

つまり何が言いたいかというと、今日食事をする前に手を洗ったかどうかを思い出せないんです。
食べたのパンだったのに。
手でムシャムシャ食べたのに。
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不完全性定理
数学の世界では、「証明」されたことについてはもう議論を挟む余地はありません。
年月や、人物や、理論や、主義主張には関係なく、数学的に証明されたことは絶対に正しいことです。
数学こそが「真理」に最も近い理論です。

その昔、ヒルベルトという人が「数学理論には一切の矛盾が無く、どんな問題であっても真偽の判定が可能であること」を証明しようとしました。
換言すれば数学の「完全性」を証明しようとしました。
これを「ヒルベルトプログラム」と言います。(1930年代)
多くの数学者がこのプログラムに関わり、着々と成果をあげていきました。

しかしラッセルが「数学の完全性」の矛盾を発見し、ゲーテルが「数学は不完全であること」を証明してしまったことで、「ヒルベルトプログラム」は終焉を迎えました。
ゲーテルの不完全性定理は以下の通りです。

1) 第1不完全性原理
ある矛盾の無い理論体系の中に、肯定も否定もできない証明不可能な命題が、必ず存在する。
2) 第2不完全性原理
ある理論体系に矛盾が無いとしても、その理論体系は自分自身に矛盾が無いことを、その理論体系の中で証明できない。

ちょっと難しいので、具体例を挙げます。
例えば、「私は嘘つきだ」と言ったとします。
この言葉が「真実」であれば「私は嘘つき」になりますが、「嘘つきなのに真実を言った」ことになり、パラドックスが生じてしまいます。
逆に「嘘」であれば、「私は正直者」になりますが、「正直者なのに嘘を言った」ことになり、やはり矛盾が生じます。

同様に「私は正直者だ」と言った場合を考えます。
この言葉が「真実」であれば「私は正直者」なので問題なく成立します。
この言葉が「嘘」であれば「私は嘘つき」なので、やはり問題なく成立します。
つまり「私は正直者だ」という命題は、真でも偽でも成り立ってしまい、結局どちらとも決定できません。
これらを「自己言及のパラドックス」と言います。
数学、特に「集合論」の部分に、この「自己言及のパラドックス」が存在してしまうために、「数学の完全性」はあり得ません。

ところで、「俺って正直(嘘つき)だからさー」とか言う人は実際問題として結構居ますよね?
でも、上記の通り、自分自身でその言葉を証明することは絶対にできません。
そういう、証明できないようなことを言う連中のことは、信用しない方がいいですよ。
私は正直者ですから、彼らを論破する方法をここに置いておきます。
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データを取るのは難しい
東大の多比良教授の論文について、「限りなく捏造に近い」という見解が出たようです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060303-00000216-kyodo-soci

多比良教授らが研究していたのは「RNA干渉(RNA interference;RNAi)」というものでして、現在盛んに研究が進められている分野です。
RNAiは、比較的簡便に、目的遺伝子の発現を抑えられることから、非常に有用な方法です。
私の研究室にも何人かこの手法を使って実験している人がいます。
また、医療への応用という点でも非常に有効なツールであり、実用化がなされれば大きなターニングポイントになるかもしれません。
多比良教授らはこの分野の日本における第一人者でした。

このブログを始めてから、「論文の捏造」を取り上げるのはこれで4回目だと思います。
過去3回は以下の通り。

研究について考える
研究について考える その2
ES細胞論文のデータ虚偽

何でこんなに「捏造」がなされてしまうかと言うと、「捏造データ」がとても魅力的なんですよね。
自分の仮説通りだし、証明として完璧だし、研究費は入ってくるし。

捏造はどの研究室にも潜んでいる甘い罠だと思う。
自分も、絶対にやらないように肝に銘じておかなくては。
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海の見える街
片田舎の港町はなんとなく、独特の空気の匂いがあると思います。
磯風独特のちょっと湿っぽい感覚と一種の寂れた雰囲気。
その雰囲気が一層際立って見えた、昼と夜の狭間。
鳥居の向こう側にある別空間。
中々風情のある景色でした。

知らない街を歩くのはとても楽しい。
当たり前だけど、見るもの全てが目新しくて、知らないものが沢山あるから。
この街にとっては私は異質の存在であり、別に居なくても全く問題のない人間です。
私にとっても普段は全く意識することもない街。
そんな知らない街でも、それぞれにみんなが生活して、色々感じながら生きているということは、「私」にとってはとても不思議な感覚です。
「私」にとっては「私に知覚できる世界」が全てですので、私の知らないところで為されている生活を垣間見ることはやっぱりとても不思議です。

というわけで今日は友人に会いに隣街まで行ってきました。
この街に生息している友人の案内で色々歩けたのは、とても楽しかったです。
私一人で歩いていたら、風情なんて感じる暇もなく道に迷ってテンパってしまうだけですから。
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