謹賀新年
新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。

この画像は今年の年賀状のために作ったものです。
犬の絵はどこか無料のところから拾ってきました。
どこから拾ったかは忘れました。
作ったものの一枚も年賀状は送ってないんですよ。
送らない派です。
そして貰えない派です。
友達はメールで充分かな、と思ってるんですけど、ここを読んで下さっている皆さんはどうなんでしょう。
やっぱり貰えた方が嬉しいのかな。
今年はこれで勘弁して下さい。

年が明けた途端、何となく歳をとってしまった気分になるのが何とも言えません。
「おいおい、2006年だよ。今年26になるよ。」
ついこの間まで高校生だと思ってたんですが、高校入学が1996年なので、10年前なんですね。
軽くショックですけど、この10年の積み重ねで今の自分があると思えば、まあいいか、と思います。
歳をとることも、最近そんなに悪いもんじゃないと思いはじめてますし。
今年の大晦日に「今年は良い年だったな」と思えるような、10年後に「2006年がポイントだったな」と思えるような、そんな一年にしたいと思ってます。

今年が皆さんにとっても良い年でありますように願っています。
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先行き不安
「一年の計は元旦にあり」と昔の偉い人は言いました。
goo辞書によるとその意味は、「その年の計画は元旦に立てるべきである。まず初めに計画を立て、事にあたるべきだ。」とありました。
さらに「元旦」の意味を調べてみると、「元日の朝」でした。
つまり元日の朝にその年の計画を立てて、その一年を過ごそうという意味です。
全くその通りだと思います。

私は元日の朝に特別計画を立てようとは意識してませんでした。
しかし色々考えているうちに計画のようなものをチラッと考えたかもしれません。
そこで元日の朝の行動を振り返ってみることにしました。

1. 年が明けた頃、テレビを見ながら音楽を聴きながらネットをしながら本を読んでいるうちに午前6時近くになる。
2. 実は今日、やらなきゃならない実験があったのでさすがにマズいと思い寝ようと試みる。
3. 目が冴えてしまい眠れない。
4. それでもいつの間にか眠り、気付いたら昼過ぎ。
5. 予定の時間に実験を開始できないと悟る。
6. とぼとぼと家を出る。

これが一年の計たる元旦の行動だったわけなので、今年の先行きがとても不安です。
行き当たりばったりのその場しのぎ。
そんな一年になるのでしょうか。

去年と同じような一年ってことなので、まあいいか。
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ちょっとした疑問
ボーッとお正月のテレビを見ていて感じたんですが、つまらないですね。
折角の休みなんですからもうちょっと有意義に使えば良かったです。
一日寝るとか。

それでちょっと疑問なんですけど、テレビの中の芸能人の人達は、楽しんでるんでしょうか?
顔は勿論笑顔なんですけど、本当に「楽しい」と思ってるんでしょうか?
加えてプロなんですから視聴者を「楽しませよう」と思っているんでしょうか?
まあ、これは出てる人の責任ではなくて、番組を企画した人の責任かもしれませんが…。
何というか、「ノリだけ良くして適当に騒げばいいや」という感じの番組が目立つように感じたものですから。
私のノリが悪くて楽しめていないだけかもしれません。

媒体は違いますが、見てくれている人を意識して作製しなくてはならないと言う意味では、ブログも同じかもしれません。
自分は楽しみつつ、読み手を意識しつつ。
少なくても私は楽しんでブログを運営しています。
自己満足に過ぎない可能性を否定できないのが怖いところ。
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手元の国語辞書によると「和」という漢字の意味の中に、
・なかよくする
・穏やか
・調子などを合わせる
とありました。
「和やか」「平和」「温和」「和合」「柔和」などです。

「和」はとても大切です。
特に人間関係の上では欠かすことができません。

「和」を保つために必要なものに「空気を読む」ことが挙げられると思います。
空気を読む理由は和を保つためです。
でも「空気を読んだ上」で「それを無視する」ことも時には必要なのではないかと思いました。
「空気を読めない」こととは根本的に違います。
和を乱すことも必要ということです。
空気を読むと言わない方がいいかな、と思っても、自分の譲れない主義主張の場合には和を乱してでもアピールをしないとならない状況もあり得ると思います。

具体例を挙げます。

「ドラえもんって子供が見るもんだよね」
「そうそう、見ても小学生まででしょ」
「最近は声も変わったらしいじゃん」
「そんなのドラえもんじゃねーよ」

空気を読んだ場合
「そうそう、そうだよね」

空気を無視した場合
「いや、ドラえもんは大人の鑑賞にも充分に耐えられる、奥が深い物語だよ。子供は子供で、大人は大人でそこから受け取れる意味も違ってくるような話も多いし。声が変わったのは確かにショックだったけど、大山ドラの末期に比べたら余程良くなってるし、原作の雰囲気も出てる。春の映画ののび太の恐竜2006には実は結構期待してるんだ」

いや、空気が読めないわけじゃなくて、読んだ上で無視してるんですよ。
譲れない主義主張。
確信犯なだけにタチが悪いという話。
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つむじが2つある話
この写真を見れば一目瞭然なのですが、私の後頭部にはつむじが2つあります。
ちなみに自分のつむじを見たのは初めてです。
風呂上がりなので若干濡れています。

つむじが2つあって困ることは、髪の毛が定まらないことです。
両方のつむじの間にある髪の毛は、どちらのつむじの流れに従ったら良いのかが分からないらしく、結果として立ちます。
髪の毛が長ければ髪の毛自身の重さでどうにか寝てくれるのですが、短い時はちょっとやそっとでは寝ません。
整髪剤などで固めれば寝ますが、頭皮が心配なのでやりません。
祖父が禿げてたんです。
遺伝が怖いです。
従って、髪の毛が不自然な方向に立っていることがありますけど、決して寝癖ではありません。
仕様です。

このような状況にあったので、つむじが2つあることについて調べてみました。
色々な迷信が流布しているようです。
面白かったので転載です。
つむじの2つある人が寝てるのをまたぐと不幸に見まわれる
うちの家族は不幸になるみたいです。
つむじが2つある人はひねくれ者
「つむじまがり」ってことでしょうか?そんなことは無いですよ、多分。斜め横から考えるのが好きなだけです。
つむじが二つあるのは王者の相で立身出世する
なるほど。今は給料も無い歯牙ない学生ですけど、将来はちょっと凄いことになるってことかな?できれば早く偉くなって隠居したいです。
2つつむじを「鳥居つむじ」と呼び、頭のいい子か、大馬鹿か、ともかく大人物になる
バカと天才は紙一重と言うことですか…。まあ、バカボンのパパは馬鹿の天才だし!

将来大人物になる私ですから、青田買いするなら今ですよ。
今なら安いですよ。
つむじのせいで髪の毛が寝なくて苦労している人物ですが、お買い得です。
というか、こっちからお願いしますorz

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