1分の価値
ふと思い出したんですが、小学校の頃は休み時間に校庭で遊んでいました。
私は屋内で遊ぶことも多かったですけど、外行くの面倒くさいなと思うことも多かったですけど、とにかくクラスの大部分の人は、私でさえも、外で遊んでいたように思います。
しかし、よくよく考えると休み時間って10分から20分程度だったはず。
仮に間を取って15分として、外でドッジボールをすることを考えると、この15分の間に「外に行って」「チーム分けして」「ドッジボールの試合をして」「勝敗を決めて」「また教室に戻ってくる」ことをしているわけです。
実際にドッジボールの試合をしているのは、おそらく正味5分程度です。
それでよく、しっかりと楽しめていたなあ、と、今から考えると結構不思議です。

それに対して、今。現在。
うっかりボーッとネットでもしようものなら、平気で1時間くらい経ってしまってます。
その間に得るものは特になく。

そう考えると、単純に比較はできませんが「1分の価値」が相当変わってしまっているなあ、と感じました。
空き時間が「15分」くらいだと「何をやるにしても中途半端だなあ(だからネットすれば良いや)」と思ってしまっていましたが、小学生当時ならドッジボールを一試合終わらせてこれるだけの時間だったんです。
このような寸暇を惜しんで勉強していれば、また違ったのかな、と。
このような寸暇を惜しんで勉強するような気概が必要だったのかな、と。

15分程度かけてこの文章を書いた私は、しみじみとそんな風に思うわけです。
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年賀状の前にきた葉書
私は年賀状を書く慣習を無くしてしまったんですが、毎年一通だけ年賀状が来ます。
私は彼にだけは年賀状を送ってます。
決まって、彼からの年賀状への返信、という形で。
このことは、今年のお正月に書きました。
どことなくなんとなく;年賀状をくれる人

そんな彼から、少し早い葉書が来ました。
この時期にくる葉書は喪中のお知らせと決まっているのですが、彼からの葉書もその例に漏れませんでした。

彼のことは上記のエントリに詳しいので詳細は省きますが、彼は中学3年のときの同級生です。
上記のエントリに書かなかったことに、彼の母親の話があります。
高校受験の直前まで彼の家に入り浸っていた私ですので、彼の母親とももちろん面識があり、むしろ仲良しなくらいでした。
オレンジジュース(きりり)を、どれほどご馳走になったか分かりません。
また、彼の母親は英語の先生(教員免許の有無は知らないですが)だったため、彼と一緒に無償で英語を教えてもらったりもしました。
英語が壊滅的に苦手だった私にとっては、本当に有り難いものでした。
今考えれば尚更強くそのように感じます。

葉書は、彼の母親の死を告げていました。
本当は直接会ってもう一度お礼を言わないとならない人だったのですが、それはもう叶わなくなってしまいました。
せめて、次に彼に会ったときに、その旨を伝えたいと思っています。

彼とは中学卒業以来会ってませんが、是非一度会いたいと思っています。
彼と、彼の奥さまと、彼の娘に。
彼の住んでいるところが小笠原諸島じゃなければ、今すぐにでも会いに行きたいのですが、それが少し残念です。
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成人式
今日は成人の日でした。
新成人の人はおめでとうございます。
沢山の新成人の人達を見かけました。
ここ数年、成人式にはテレビ局のカメラが張り込んで、誰かが騒ぎだすことを期待しつつ、新成人の人はその期待に応えるべく騒ぎだすことが風習と言うか慣習になった感があります。
これ、騒ぎはじめた第一世代が私たちよりも2コ上の世代くらいで、私たちもこの慣習の黎明期を担ったものです。
私は騒ぎませんでしたけど。

そんなわけで何となく、今日は私の成人式の思い出でも書いてみようかな、と思います。
まだ1decadeも経ってないので、断じてつい最近の出来事です。

私の家は成人式の会場に近かったため(徒歩で行けます)、式典の始まるギリギリに会場に着きました。
ほとんど時間が無かったので、誰にも知り合いに会えないまま、式典が始まりました。
式典が終わった後、高校のときの友人と連絡をとったところ、これからみんなでカラオケに行くとのこと。
うーん、カラオケかー、それよりも飲もうよ(ハタチだし)、と主張したものの、受け入れてもらえませんでした。
私は、カラオケって苦手なんですよね。
仕方がないので、諦めました。
家帰って寝ました。

いくら考えてもこれ以上の思い出が思い浮かばないので、私の成人式はこんなもんだったみたいです。
結局一人で式典に参加して帰ってきただけ。
必要最小限だけど、十分ではない感じです、今考えると。
かと言って、今の私が判断してもきっと同じように家に帰ってると思うので、仕方ないですね。
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年賀状をくれる人
年賀状という習慣をなくしてから、もう何年にもなります。
めぼしい友人たちとは、メールをやり取りすることで新年の挨拶としています。
でも、そんな私にも、毎年一通だけ年賀状が来るんです。
送り主は、中学時代の友人。
私も彼にだけは年賀状を送っています。
決まって、彼からの年賀状への返信、という形で。

彼は中学3年の頃、転校してきました。
私も中学2年のときに転校してきた身だったので、何となく境遇が似ていました。
自然、一緒に居る時間も長くなり、友達になっていました。
中三の2月頃まで、ほぼ毎日彼の家で遊んでました。
漫画を読んだりゲームをしたり音楽を聞いたり。
勉強はしてないのが、時期的にどうなんだろうとは思わなくもありませんでしたけど。
そして、別々の高校へ進学。
彼とは、このとき別れて以来一度も会ってません。
年賀状のやりとりだけが、続きました。

年賀状は毎年、彼の状況を知らせてくれました。
高校で楽しんでいること、卒業後、全国の旅に出かけたこと。
旅に出ている間は毎年年賀状に記載されている住所が違っていたため、自然に彼からの年賀状をもらってから返事を書くという流れになりました。
彼からの年賀状への返信、という形です。

ある年、5〜6年くらい前の年賀状だと思うのですが、こう書いてありました。
「小笠原でクジラを見てくる」
次の年、年賀状の送り先は小笠原諸島でした。
そして今年、年賀状の送り先はやっぱり小笠原諸島です。
今年貰った年賀状には、満面の笑みを浮かべた親子三人の姿がありました。

彼と過ごしたのは中学三年のとき、たった一年間です。
その後は全く違う人生を歩んでいます。
私などはまだ学生ですし。
隣にいたもの同士が歩んだ全く別々の道。
これは考えれば考えるほど、不思議で面白いです。
できれば彼とは酒でも飲みながらじっくりと話がしたいなあ、と思っています。
小笠原、ちょっと遠いですけど行ってみたいですしね。

こんな彼への返信に使う年賀状を、昨日コンビニで買ってきました。
もう無地のものは売ってなくてイラストがデザインされたのしかなくて3枚で340円もしてついでに肉まんを買おうとしたけど売り切れで代わりに買ったグラタンまんが美味しくなかったですけど、彼への返信に使う年賀状ですから腹も立ちません。
返事にはようやく学生生活から脱出する旨を書けそうです。
あとは一刻も早く書いて送らねば。
1日に年賀状は届いたし、昨日返信用の年賀状を買ってきたし、あとは書いて送るだけのはずです。
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ゲームの話
日付が変わってしまいましたが、今日11月11日はプレステ3の発売日でした。
私の物心のつく時期とファミコンの登場が同時期で、その後のゲーム機の進化を自分自身の成長と同時にリアルタイムで体験してきた世代としては、中々に気になる出来事です。
でもプレステ3を買ったわけではないので、「プレステ3」で検索してここに来てしまった人にとって有意義な情報はないですよ。
読むだけ時間の無駄です。

ニュースでプレステ3を買うための行列が出来ているのを見て、何となく懐かしい気持ちになりました。
というのも、プレステ2を発売日に夜通し並んで買ったことを思い出したからです。
今でもこの初期型プレステ2は現役で活躍しています。
いや、ここ10ヶ月起動すらしてないですけど。
平成12年3月4日、私がまだ10代だったころの出来事でした。
その時は友人と並んだんですが、結構楽しかったです。
会話すらしてない周りの人に勝手に妙な親近感と言うかシンパシーを感じましたし。
今なら絶対にやらないだろうな、とも思います。
当時と比べて私の中での相対的なゲームの価値が下がって、時間の価値が上がったからです。
加えて、正直プレステ2時代には、私のやったゲーム(多くはないですけど)の中に、強烈に心に残るものがなかったということも影響していると思います。
プレステ時代にはFF7やWILD ARMS、ヴァルキリープロファイルなど今でも印象深いものも多かったように感じます。
更にスーファミ時代、ファミコン時代と遡るに連れて、印象に残っているタイトルは増えていきます。
これは私自身の感性が変わったためなのか、それともゲーム自体が変化したためなのか、それは分かりません。
多分両方なんじゃないかと思います。

昔好きだったゲームが上位機種でリメイクされるのはちょっと気になります。
最近ではFF3とかFF5とかFF6とか。
特にFF5ではエヌオーと戦えると聞くだけで心はトキメキます。
反面、あの完成されたシステムや世界を変えて欲しくない気持ちもあります。

逆に上位機種で発売されたタイトルを下位機種に移植してしまおうというプロジェクトも水面下で進行してます。
具体的にはFF7をファミコンにしようというプロジェクトです。
FINAL FANTASY VII ファミコン音源化リスト
FF7FC化スレgraphics @Wiki
こういう企画は大好きです。
音楽のクオリティは高いです。
影ながらこっそりとめちゃめちゃ期待しています。

とりあえず、今やるならまったりとゆっくりと長く楽しめるようなやつが良いです。
寝食を忘れるようなものだと、もはや体が保たない気がするので。
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