お引っ越し

ブログの移転を画策していました。
理由はいくつかあるのですが、ここのブログサービスはあんまり熱心じゃなさそうで、あと10年はこのままできないんじゃないかなあ、と言うなんとなくの不安がありました。
まあ、今後10年も続けるかは分からないのですが、すっかり更新も滞りがちにはなっているのですが、そんなことも言いつつこのブログを始めてから干支が一回りしそうにはなっているので、同じくらいの期間は考慮に入れておきたいなあ、と思うに至りまして。
色々とデザイン周りとかも古くなってますしね。
メンテナンスをあんまりしていないせいでもあるのですが。が。

過去にも何度か移転を考えて、その度に挫折をしていました。
どことなくなんとなく:記事内広告
どことなくなんとなく:移転を試みるも
どことなくなんとなく:記事内に広告が挿入されるようになりました

移転を挫折していた大きな理由はJugemブログはJugem形式以外のエクスポートに対応していないこと、画像の移転が大変そうなこと、記事数が多いので移転した後の体裁の調整が大変そうなこと、等などがあり、些か逡巡していました。
面倒くさいなあ、このまま放置してブログサービスが終わったら消滅でも良いかなあ、と。
もちろんそれなり以上に思い入れはあるので、何とかしたい気持ちも強いのですが。

そんなこんなを経て、一応、ある程度移転先が形になりつつありますので、ブログの引越をしようと考えています。

どことなくなんとなく(はてなブログ)

移転先ははてなブログにしました。
はてなのアカウントはずーっと使ってましたし、それなりにブログのことを考えてくれていそうですし。
現在、記事と画像は全て移行済みですが、移行によって記事の体裁が崩れてしまっているところがあります。
2009年以降の記事は全部直しました。
それより前の記事はおいおい。おいおい。
数が多い多いorz。

と言うことで、今後ははてなブログの方で更新していくつもりです。
こちらはしばらくはこのまま保存します。
今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。

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屋上

私は学生の頃、研究室配属になった学部4年生から博士課程が終わるまでの6年間、屋上に通いつめていました。
私がどうにかこうにか学位を取って、今でも研究者を続けていられるのは、この屋上の存在が大きかったように感じています。
古くから読んでくださっている方はご承知かもしれませんが、このブログは博士課程1年の頃に始めましたので、「屋上」で検索をかけると沢山のエントリがヒットします。
この「屋上」を離れて8年以上経ちますが、未だにプロフィール欄の「屋上でまったりするのが生き甲斐」の文言はそのままにしてあります。
私の中で、間違いなくとても大切な場所の一つです。

いつの頃からか、この「屋上」は立入禁止になりました。
危険だとか不審だとか、そんなつまらない理由です。
つまらない人間が、つまらない理由で、私にとっての大切な場所に鍵をかけてしまいました。
私には鍵を開ける手段がありませんでした。

このブログで「屋上」で検索をかけて出て来る一番新しいエントリが2009年でした。
随分と時間が経ってしまったなあ、このまま「屋上」を永遠に失ってしまうのかなあ、と半ば諦めていました。
この場所、なくなるんですよね。

今日はたぶん、ほぼラストチャンスだったのだろうと思います。
少なくても今週と来週の、僅かな間隙にのみチャンスが存在していたのだろうと思います。
私の中の「屋上」を、私の中に「屋上」としてきちんと留め置くための、最後のチャンス。
エピタフを刻むための、最後の機会。
屋上への扉は開いていました。
私のことを迎え入れてくれるように。

定点の木

私は屋上から見るこの木が好きで、何度も何度も写真を撮ってました。
その写真だけをまとめたエントリもあります。
どことなくなんとなく:定点観測
相変わらず定点的で、すっと私の中の「屋上」と現在の屋上を繋いでくれました。
この場所は、間違いなく私にとっての「屋上」です。
お陰でこの場所に対して、懐かしさではなく極々自然に私が当たり前にいられる場所であると言う感覚を持つことが出来ました。
「定点」なので。

もう一度「屋上」に来ることで、なんとなく私にとっての「屋上」をきちんと「屋上」として私の一部にできたように感じています。
最後にどうしたら良いか分からなくてどことなく所在なげにしていた「屋上」が、きちんと私の中に居場所を見つけたような感じです。
私の「屋上」が迷子にならなくて本当に良かったなあ、と言う感覚です。

「屋上」に来たらもちろんやることは一つ。
缶コーヒーです。
いつものように屋上からの景色を眺めながら缶コーヒーを飲みました。

屋上で缶コーヒー

屋上で缶コーヒー。
かつてのいつも通り。
私の中の「屋上」にとって、永遠の存在理由。

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雪の日

昨日は今シーズンで一番くらいの雪が降りました。
雪の日の空気は何故か少し静寂で、少し綺麗です。
雪は空気中のチリを核に形成し成長しますが、恐らく「音」も核にするんだと思います。

雪の日に口から吐かれた言葉は、音を立てずに雪となり、景色と言葉を白くしてくれます。
言いたいこと、言えないこと、言いたくないこと、言うべきでないこと、良い言葉、悪い言葉、全部白に染め上げて、雪になって綺麗なものに変わってくれるのなら、雪景色となって消えてくれるのなら、どんなに素晴らしいものだろうかと感じます。
一方で、雪の日に胸いっぱい吸った空気は、心の中のチリや言葉を捕まえて、雪として降らせてくれるのではないかと期待します。
それで少しでも自分の心が綺麗になるのではないかと切望します。

雪の日に音無き雪を吐き出し、形無き雪を吸い込むことは、自分の汚さを雪いてくれるような気にさせてくれます。
雪片のひとひらひとひらが、綺麗にされた言葉の残滓であると考えると、雪の日の空気が少し静寂で、少し綺麗なことは、自分を形作る世界の静謐さの顕れであると錯覚しそうになります。
本当にそうだとしたら、凄く良いなあと思うのですが。

次に雪が降ったときは、少し外を歩こうと思います。
雪を吐き出して、雪を吸い込むために。
あまりやりすぎると汚い私全体を核に雪だるまが出来てしまうので、その点だけ注意しないと。

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